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真実を知りたい
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東京を韓国人が観光する時、新宿は外せないコースの一つだ。東京都心全体はもちろん、運が良ければ富士山までただで見られる都庁展望台や東京最大の遊興街、歌舞伎町、ヨドバシカメラなど電子製品量販店及び有名百貨店が密集しているからだ。

新宿は元々韓国人学校があって東京駐在員がたくさん居住した地域だ。それでソウルオリンピック以後、海外旅行制限が解けて日本行きを選んだ若者達が相対的に定着しやすい場所だった。

新宿の新大久保駅に近い大久保駅を中心に一つ二つあった韓国スーパー・マーケットと食堂は2001年に新大久保駅で酒に酔った日本人を助けようとして電車に轢かれて亡くなったスヨンさん事件と、2002年韓日ワールドカップに続いた韓流ブームの大きな刺激薬になって爆発的に増えた。

今はこの一帯が看板だけでなく事実上、東京で最大のコリアタウンだ。行政区画で新宿区百人町にあたるこの地域と韓国の縁が何百年かさかのぼるということを最近ある日本人の知人から知った。

百人町という名前は江戸時代にその近所に100人の幕府精鋭小銃部隊が住んでいたことに由来すると彼は説明した。当時、徳川幕府の護衛兵として抜擢された三重伊賀の忍者らがこの一帯に居住していたと言う。

伊賀の忍者がツツジを植えてこの地域は江戸から20世紀初めまでツツジの名所でもあった。これを記念して新宿区は1972年ツツジを区花に決め、今も毎年4月末「大久保ツツジ祭り」が開かれている。

伊賀の忍者はどうしてツツジを植えたのだろうか。文献によれば日本にツツジが広がり始めたのは9世紀に入った平安時代と言う。知人はこのツツジが韓半島移住民を通じて入って来たと信じていた。

伊賀の忍者は韓半島移住民の子孫なので故郷をしのんで他郷の東京にツツジを植えたというのだ。

実際に伊賀で忍者の指導者を輩出して来た服部家は新羅系移住民である秦氏の家系として知られている。伊賀地域には韓半島移住民が多かく、伊賀焼きというこの地域の伝統陶磁器や酒製造術なども一緒に伝来されたと言う。

1990年代中盤に復活して「忍者祭り」で有名な伊賀市の敢国神社(あえくにじんじゃ)の「黒党」という祭りは服部家の祭祀だ。この祭りで祭る三大神の中で少彦名命は移住民の秦氏が祭った神で金山媛命は冶金術と関連が深い神だ。鉄や冶金術が伽揶を中心に日本に伝わったことはよく知られている。

三重出身の忍者がすでに数百年前に大久保駅の近くにコリアタウンを作っていたということだ。新宿を韓国文化発信地として新大久保、大久保駅一帯で300余店鋪を運営する韓国人たちが22日「新宿韓人発展委員会」という親睦団体を発足させる。地方自治体や現地日本人と協力して韓国人通りを作って行く活動を開始した。

最初はコリアタウンの看板をかけたいと思っていたが、住民から「周辺の掃除からちゃんとしなさい」と苦言を聞いたと言う。

伊賀の忍者がツツジを名物として残したように大久保韓人通りが日本人の胸に良い韓国のイメージを植える発信地になるように期待する。

ソース:韓国日報(韓国語) [特派員コラム/4月20日]新宿コリアタウン
http://news.hankooki.com/lpage/opinion/200904/h2009042002373984900.htm
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