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真実を知りたい
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よく百済との関係を云々する人がいるが、新羅との関係の方が遥かに興味深い。
中国の史書では百済に関し、その元来の住民については倭人が頗る多いと記されているが、王族はツングース系の扶余であったという。
しかし新羅の場合、なんと日本列島から渡来した倭人が王になって王統をも伝え、のべ八代の王を輩出したとされる。

初代 赫居世居西干(朴氏)
*2代 南解次次雄(朴氏)
*3代 儒理尼叱今(朴氏)
*4代 脱解尼叱今(昔氏) ←倭人。丹波の国出身説が有力。
*5代 娑婆尼叱今(朴氏)
*6代 祗摩尼叱今(朴氏)
*7代 逸聖尼叱今(朴氏)
*8代 阿達羅尼叱今(朴氏)
*9代 伐休尼叱今(昔氏) 13代 味鄒尼叱今(金氏)
10代 奈解尼叱今(昔氏) 14代 儒礼尼叱今(昔氏)
11代 助賁尼叱今(昔氏) 15代 基臨尼叱今(昔氏)
12代 沾解尼叱今(昔氏) 16代 訖解尼叱今(昔氏)
..                17代 奈勿尼叱今(金氏)

そしてさらに、それ以上に興味深いのが新羅建国時に宰相となって影の王のように振る舞い活躍した、
瓢箪を腰につけて船で渡来したことから「瓢公」と称された倭人で、実はこの人物が、現代の朝鮮人のアイデンティティの根幹を揺るがしかねない問題を孕んでいるのである。
現代の朝鮮人の姓名は"中華"への服属意識を如実に表す、漢字/漢字音を用いた姓=一字、名=二字という漢族式で、
実際の姓自体も漢族が使用するものの借用が殆どという有様だが、新羅初代王の朴赫居世に始まる「朴」という姓だけは、
辰韓の語の「バク」という単語を借字で音写した独自の姓とされ、特殊な姓といえる。
ではこの「バク」という辰韓の語が何を意味するかというと、「瓢」。宰相として影の王のように振る舞った倭人の"瓢"公となんと同じ。
このことから、瓢公と朴赫居世は共に倭国から渡来した同族、あるいは同一人物であるともいわれている。
ちなみに金氏の祖は、件の、倭人である昔氏初代にして第四代新羅王脱解の治世時に、これまた件の倭人宰相瓢公が拾って来たとされている。
瓢公(あるいは朴氏も)や昔氏一族といった倭人たちが新羅建国に深く関わり、王、宰相として支えたわけです。非常に興味深いですね。
(参考文献:「三国史記」、「三国遺事」、金素雲「三韓昔がたり」)


■【広開土王碑】より
百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭以耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民
<訳> そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。しかし、倭が辛卯の年(391年)に海を渡り、
百残・■■新羅を破り、臣民となしてしまった。

■【隋書】より
新羅百濟皆以倭為大國多珍物並敬仰之恒通使往來
<訳> 新羅・百濟は、みな倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬い仰ぎて、恒に使いを通わせ往来す。

■朝鮮半島南部にある前方後円墳群
現在までに全羅南道に11基、全羅北道に2基の前方後円墳が確認されている。
朝鮮半島の前方後円墳はいずれも5世紀後半から6世紀中葉という極めて限られた時期に成立したものであり、
百済の国境に沿った伽耶の地のみに存在し、円筒埴輪や南島産貝製品、
内部をベンガラで塗った石室といった大和系遺物を伴うことが知られている。そのため、
大和朝廷から派遣された官吏や軍人、大和朝廷に臣従した在地豪族などのものと見られており、
大和朝廷による直轄的な経営の根拠とされる。

光州月桂洞古墳1号墳 ttp://21coe.kokugakuin.ac.jp/image.php?id=84
光州月桂洞古墳2号墳 ttp://21coe.kokugakuin.ac.jp/image.php?id=85

※ 関連する大和朝廷側人物
タリの国守 穂積臣押山(ほづみのおみおしやま)
日本書紀、継体紀七年六月条に引く百済本紀には、委(やまと)の意斯移麻岐弥(おしやまきみ)とあるとされる。



■人類学的なパースペクティブを簡単に説明
縄文人は、主としてバイカル湖周辺に発生した原モンゴロイドで、マンモスを追いシベリア、サハリンを経て日本列島に渡来。
弥生人は、越=タイ系民族が多数に分かれて居住し(楚・句呉・越を建てた)、百越の地と呼ばれた長江の流域~南部から渡来。
一方、朝鮮半島にもともと定住していたのは日本列島の縄文人に極めて近い人々であり、遺物も縄文的。
その後弥生人が、長江の流域から北九州一円(半島南部含む)へ渡来。
このことから、古代の北九州一円の地域における定住者の間に、大きな人種的差異はなかったものと考えられる。
現在ある日本人と朝鮮人との間の人種的な差異は、その後の半島における、北方アジア人、主としてツングース系民族の侵入、移入による混血が原因。

※ 江南人骨日中共同調査団(山口敏・東京国立科学博物館名誉研究員が団長)は、
江蘇省の墓から出土した六十体(二十八体が新石器時代、十七体が春秋戦国時代、十五体が前漢時代)の頭や太ももの骨、
歯を調査。特に、歯からDNAを抽出して調査し、福岡、山口両県で出土した渡来系弥生人と縄文人の人骨と比較。
結果、春秋戦国時代人と前漢時代人は弥生人と酷似。DNA分析では、
江蘇省徐州近郊の梁王城遺跡(春秋時代末)の人骨の歯から抽出したミトコンドリアDNAの持つ塩基配列の一部が、
福岡県の隈西小田遺跡の人骨のDNAと一致した。

■国立科学博物館:日本人はるかな旅
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-14.html
渡来系弥生人は大陸のどこからやって来たのでしょうか。
最近の調査により、水稲耕作の発祥の地ともいわれている中国南部が有力視されています。
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